美濃路沿い江川町(現城西)に文久年間以前に開業しました。
江戸時代は名古屋城へ薬を納めていました。
【戦前の薬局風景】
苗字・帯刀を許され『沖勘六』を代々襲名していました。
戦前は薬局と郵便局を兼業していましたが、空襲で焼失。
【5代目沖勘六(明治38年写)】
【6代目沖勘六(昭和49年没)】
愛知県薬剤師会会長・日本薬剤師会副会長を務め、医薬分業の創設に尽力しました。
没後、功績により胸像が建てられました。(現在:愛知県薬剤師会会館内に展示)
除幕したのは現社長です。
【(上)6代目沖勘六胸像
完成披露宴・(下)除幕式】
【(左)7代目沖活夫(平成3年没)
・(右)6代目沖勘六】
7代目より襲名を止め、屋号を『沖薬局』から『沖勘六薬局』へ改めました。
7代目沖活夫は、名古屋市薬剤師会会長として
名古屋市の市民病院・大学病院前に『会営薬局』を開業し、
昭和終盤の医薬分業黎明期での、病院と「かかりつけ薬局」の橋渡しに貢献しました。
【7代目沖活夫(昭和60年写)】
【勲三等瑞宝章】
【勲四等旭日小綬章】
【実在する嘉永年間の古書(嘉永7年)】
平成20年の移転までは城西2丁目で開業していました。
【平成18年当時の薬局】
現在に至る